Josef Skupa

ヨゼフ・スクパ、「シュペイブルとフルヴィーネクのお父さん」

 

チェコの伝統的なマリオネットを観るために、毎年世界中からたくさんの観光 客がチェコを訪れます。しかし、チェコ人に一番人気のあるマリオネットは伝統的 なものではなく、1920年代ぐらいの「シュペイブル」(Spejbl)と「フルヴィーネ ク」(Hurvínek)です。これはヨゼフ・スクパ(Josef Skupa)、つまり「シュペイ ブルとフルヴィーネクのお父さん」についての記事です。

スクパは1892年に「ストラコニツェ」という南ボヘミア州にある町に生まれまし たが、すぐに両親と町のプルゼニへ引っ越しました。少年時代から既にマリオネ ットや絵を描くことに興味があったそうです。そんなにまじめな学生ではなく成績 はよくなかったことは事実ですが、絵を描くことだけはいつもとても上手かったそ うです。したがって、彼の夢は画家になることで、彼は「AVU」というプラハ美術ア カデミーで勉強するつもりでした。でも彼の両親は芸術家の仕事がまともじゃない と考え、彼の決定に賛成しませんでした。高校を卒業した後は、「UMPRUM」という プラハにある美術工芸大学に入りました。1915年にその大学を卒業してから彼自身 教授になることができました。しかし、当時第一次世界大戦が起こっていたので、 スクパは突然軍に徴兵されました。

josef-skupa1.jpgヨゼフ・スクパ (Josef Skupa)、「シュペイブルとフルヴィーネクのお父さん」

プルゼ二へ帰った後、Městské divadloという劇場とLoutkové divadlo Feriálních osadという人形劇場に勤め始めました。Městské divadloで舞台の設計 をし、Loutkové divadlo Feriálních osadでさまざまなマリオネットに声を当てま した。その二つの劇場に勤めながらプルゼ二にあるギムナジウムで美術を教えまし た。ところで、有名なアニメーション監督、人形作家、絵本作家のイジー・トル ンカ(Jiří Trnka)もスクパに教えられました。上述の人形劇場には人形使いの ノヴァーク(Novák)家が働いていました。運営者のカレル・ノヴァーク(Karel Novák)は伝統的な人形劇の熱心な支持者でしたが、スクパは王女様や騎士や悪魔な どのマリオネットはきれいで、大切な文化財なのに、劇場や芝居を現代的にしたい と思いました。

1919年に彫刻家のカレル・ノセク(Karel Nosek)はスクパの設計を基にして一 風代わったマリオネットを作って、それは「シュペイブル」と呼ばれ始めました。 スクパはシュペイブルでビールを飲みながらいつも物知り顔で話していて実際に何 も分からないチェコ人を愚弄するつもりでした。シュペイブルは頭が良くありませ んでしたが、あらゆるテーマについてとても重要な意見を言ったものです。また燕 尾服を着ながら、サボを履いていました。その上毎日パブにいる年を取った人のよ うに禿げていました。しかし、初めのうちは苦労しました。もともとシュペイブル の舞台の相手がマリオネットのKašpárek「カシュパーレク」それからŠvejk「シュヴ ェイク」でしたが、スクパは適当なデュオではないと感じていました。その上ノヴ ァークはそんなマリオネットは子供に良くない見本だと思っていたので、シュペイ ブルは夜に行っていた大人のための劇場だけに出ることができました。しかし、シ ュペイブルは大人の観客にどんどん人気を得ました。

josef-skupaヨゼフ・スクパ (Josef Skupa)

1926年にスクパは彫刻家のグスタフ・ノセク(Gustav Nosek)に新しいマリオネ ットを作ってもらいました。その人形を見て彼は驚きました。その人形はシュペイ ブルにとてもよく似ていました。それにちなんで「シュペイブリーク」(Spejblík) と「シュペイブラートコ」(Spejblátko)、「小さいシュペイブル」のような意味が ある名前と呼ばれましたが、最終的には「フルヴィーネク」と呼ばれるようになり ました。「シュペイブル」も「フルヴィーネク」もとてもユニークで、おかしい名 前です。なぜスクパがそんな名前を選んだのかは完全に謎です。

josef-skupa「シュペイブル」(Spejbl)と「フルヴィーネク」(Hurvínek)

フルヴィーネクはシュペイブルのずるい息子として劇に出始めました。彼の行動 は実際の世界の不道徳な行為に抗議するためのものかもしれません。古い伝統を好 んでいるノヴァーク家はスクパのマリオネットの大成功に反対していて、結局彼ら は永久に人形劇場のLoutkové divadlo Feriálních osadを離れてしまいました。ス クパは他の素人の人形使い達と一緒に劇場を続ける決心をして、現代の劇を始める つもりでした。ルドヴィーク・ノヴァーク(Ludvík Novák)の代わりにスクパの奥 さんのイジナ・スクポヴァー(Jiřina Skupová)はフルヴィーネクの人形使いにな りました。スクポヴァーには経験がぜんぜんありませんでしたが、だんだん上手に なっていきました。その二人の夫婦に使われていたシュペイブルとフルヴィーネク はまるで生きていたように動いたそうです。

josef-skupa「シュペイブル」(Spejbl)と「フルヴィーネク」(Hurvínek)

1930年にスクパの夢は実現しました。プルゼニでPlzeňské loutkové divadélko prof. Josefa Skupyという自分の人形劇場を設立しました。劇の代表格はシュペイブ ルとフルヴィーネクの不条理劇やダダのような会話やフランスから来たレヴューで した。またグスタフ・ノセクによって二つの新しいマリオネット、女の子の「マ ー二チカ」(Mánička)と犬の「ジェリーク」(Žerýk)が作られました。 30年代にファシズムが強まりつづけたことにともなって、劇の内容はもっと意 義深くなって、いろいろなアレゴリーでファシズムに抗議しました。当時マリオネ ットの親子のイメージが変わり始めました。シュペイブルは息子のことを心配して いるお父さんとなり、チェコ人の心に愛国心を植え付けるために活動しました。二 つのマリオネットはもはやこっけいなデュオではありませんでした。結局1944年 にプルゼニの人形劇場はゲシュタポに閉鎖されて、スクパはドレスデンにある刑務 所に送られました。しかし、その翌年に彼のいる刑務所は航空攻撃で破壊されまし た。スクパは逃げ出して、プルゼ二に帰りました。

第二次世界大戦が終わった後、スクパは今度はプラハで劇場を開きたがりまし た。条件はスクパ夫婦が共産党に入ることでした。人形劇場はその二人にとってと ても大切なものでしたから、その提案を受け入れました。しかし、彼らは共産党の ためのアジプロをしたがらなかったので、主に子供のための劇を作ったものです。 スクパは1957年に卒中で亡くなりました。シュペイブルとフルヴィーネク、スク パの子供たちは生き続けていますが、現在のイメージと元のイメージを比べると、 それらは全く異なっています。イメージこそすっかり変わってしまいましたが、今 でもチェコの文化の一つとなっています。

josef-skupa「シュペイブル」(Spejbl)と「フルヴィーネク」(Hurvínek)と「マー二チカ」(Mánička)

チェコの言葉の中にはいろいろな同音異義語があります。スクパはそんな言葉 を基にしてこっけいなストーリーを作りました。例えば口頭で、同音のUžovkyかU Žofky「ウジョフキ」と言ったとき、二つの意味があります。それぞれ「ヤマカガ シ」と「ジョフカの所で」という意味になります。そのため息子のフルヴィーネク がJedl jsem u Žofky「ジョフカの所で食べました」と言うと、父親のシュペイブ ルは息子がJedl jsem užovky「ヤマカガシを食べました」と言ったものと勘違いし て、怒ってしまいます。



サーラ
プラハ・カレル大学の日本語学科の学生。
連絡: | sara@roboraion.cz | facebook |
参考文献を表す
文献
  1. GRYM, Pavel. Spejbl a Hurvínek aneb Sólo pro Josefa Skupu: symfonie jednoho života. Žďár nad Sázavou: Impreso Plus, 1995.
  2. MALÍK, Jan. Národní umělec Josef Skupa: listy z kroniky českého loutkářství. Praha: Státní nakladatelství krásné literatury, hudby a umění, 1962.
  3. BĚLOHLÁVEK, Miloslav. Josef Skupa: Loutky a Plzeň: Almanach vzpomínek na Josefa Skupu. Plzeň: Stráž, 1967.
  4. http://cs.wikipedia.org/wiki/Divadlo_Spejbla_a_Hurv%C3%ADnka
  5. http://zpravy.rozhlas.cz/brno/upozornujeme/_zprava/ecce-homo-josef-skupa-loutkar-vytvarnik--1004921

イメージ
  1. http://cs.wikipedia.org/wiki/Josef_Skupa
  2. http://alik.idnes.cz/hurvinek-vypravi-o-rodicich-vodicich-i-mluvicich-fbk-/alik-alikoviny.asp?c=A110927_132958_alik-alikoviny_mrk
  3. http://alik.idnes.cz/hurvinkovo-ztracene-album-1-dil-dm8-/alik-alikoviny.asp?c=A100426_101455_alik-alikoviny_mrk
  4. http://alik.idnes.cz/foto.aspx?foto1=MRK372646_s_h_skupovi_r.jpg
  5. http://www.denik.cz/divadlo/hurvinek-je-proste-bystry20120116.html
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